私の3.11 
 佐藤 広子

 悪夢のような巨大地震 テレビからの衝撃的な大津波の映像が一年余り過ぎた今でも鮮明に記憶しています。

 2時46分 我が家ではペンキ塗装職人にお茶の準備をしている時でした。家が大きく揺れ玄関までやっとの思いで進んで外を見ると、夫と職人3人で道路に 立っていました。近くに有る防火水槽の蓋が外れ水槽の水が背丈程高く吹き上げたり、大谷石の塀が崩れるのを見たと後で言っていました。道路に止めていたト ラックは左右に波打つように大きく揺れていて、私は玄関口にただ呆然として立ちすくんでいるだけでした。

 気がついて見ると電気、水は止まってしまっている。幸いにしてプロパンガスは使えるので、その夜はガスとローソクの明かりを頼りに何とか過ごす。
 次の日からは水汲みが日課となる。お風呂の残り湯もトイレ用水に大いに役立ちました。お米を洗って来て御飯を炊こうとしたが、電気炊飯器まかせの生活が 長く、火加減も分からなくなっている自分に驚きながら、昔取った杵柄(きねづか)を思い出し何とか炊き上げ急をしのげました。意外とガスで炊いたご飯も美 味しかったです。
 災害時に発揮したプロパンガスも又見直されたようです。

 14日6時(4日目)突然部屋が明るくなり電気が復旧し、喜びの歓声と拍手をしてライフラインの有り難さを改めて実感する。残りのライフライン水道の復 旧が待たれるが未だ先になるとの見通しとか。そうこうしているうちに職人さんがポリタンクに一杯水を運んで来てくれて大助かり、当分の間水の心配はなくな りました。

 地震から9日目(19日)やっと水道が復旧して待ちに待ったお風呂が入れる喜び。水道、電気、ガスのライフラインが揃って、やっと日常の生活に戻ることが出来て安心感が込み上げて来たことを思い出します。

 相田団地内でも道路の段差、歪み、大谷石の塀の崩れ、全壊、半壊の家と多くの被害が有りましたが、屋根を覆っていたブルーシートも少なくなり段々と落ち着きを戻しつつあります。

 震災から一年あまり………この間本当にたくさんのことを学び、いろいろと考えさせられることがありました。
 多くの被災された方々に一日も早く笑顔が戻れますように応援しています。
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