私の3月11日

真瀬 寛 
    私の 3.11 この日,私は郷里結城市の在にある留守宅の様子を見にいっていた. 家の周りの整理と部屋の掃除を簡単にすませ,従弟が駅まで送ってくれるというので2時半ごろ家を出た.家を出て間もなくあの強烈な揺れを経験した. 初めは地震とは気がつかなかった.車の揺れに従弟は「風かな」 と言ったりしていた.しかしほどなくして電柱がメトロームのように揺れ,大谷石の塀が崩れだしたのを見て大変な地震であることを理解した.揺れが収まって 一瞬どうするか迷ったが駅まで送り届けてもらった.
  電車の運行は絶望なので日立までタクシーを乗り継いで帰ることにした.幸い下館駅のタクシーが日立まで載せて来てくれた.途中何度も大渋滞に遭遇し 12時半過ぎにようやく家にたどり着くことができた.親切なタクシー運転手にめぐり逢えて本当にありがたかった.たまたま持ち合わせがありタクシー代にぎ りぎり間に合ったので胸をなでおろした. 帰途の車中,子供たちとは連絡がとれそれぞれの無事を確認できた.ところが家内とは何としても連絡がとれなかった.帰宅してみると玄関の鍵が開いたまま家 内の姿がない.病弱なので病院の緊急外来にでもと尋ねてみるとこちらにはいないという.深夜なので心当たりへの連絡は控えまんじりともせず夜をあかす.
  翌朝,限られた心当たりを探したが所在は分からずじまい.結局その日の夕方,一時帰宅した家内の書き置きで齣王中学の体育館に避難していることが分かった.この間,消防署,警察署,避難所を歩き回り心やすまることがなかった. あの大震災ではじつに沢山の人々が大切な身よりの消息を探し求めていた.その人たちの心情がいかばかりであったか, たった1日のことであったがこのことを通して,より深く理解できたような気がする.
  蛇足 家内の携帯はPHSであった.10数年前音質のよさと通信速度が速いことで私が使っていたものを家内に使わせていた.PHSは都市空間では災害時に強いと されているが,日立のような所ではそうとも言えないようだ. 今度の震災時には「電源が入っていない」というメッセージが表示されるばかりで全く用を足さなかった.勿論発信も不可だったようだ.どうやらアンテナ電源 のバックアップに不備があるのではないだろうか.というわけで,PHSの契約更新をまって解約し,いわゆる携帯電話に新規加入した.
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