八巻さんを偲ぶ

大越 健児
平成27年5月
     私は八巻さんの紹介で平成10年6月に「きららホームページの会」に入会しました。「きらら」では、成沢学区のホームページを作成中 でした。HP作成術を殆ど知らない私でしたが、応援として参加した次第です。平成10年秋に「成沢学区HP」が完成し、成沢公民館でお披露目を行いまし た。その結果を受けて、成沢公民館より初心者用パソコン教室が開けないかと打診があり、成沢公民館主催・きらら協力の「中高年初心者パソコン教室」が平成 11年から開かれるようになり、一昨年まで続けられました。
 このパソコン教室は8月に4日間行われるものでしたが、引き続きパソコンの勉強を続けたいという方が多く、平成11年(1999年)に「成沢パソコング ループ(略称NPG)」、平成12年(2000年)に「2000パソ」というパソコン教室がスタートし、八巻さんと二人で講師を務めて来ました。

 八巻さんと私は昭和31年(1956年)日立製作所に入社しました。当時は景気が悪く、大学卒の新規入社は日立製作所全体で100名弱でした。日立研究 所、電線工場、山崎工場、国分工場、水戸工場、勝田工場がまだ日立工場所属の時代で、日立工場配属は22名でした。同期会(56会と称した)を結成し、よ く集い、語りまた遊んだものです。15年ほど前から全社ベースの56会総会を東京で開くようになり、八巻さんは茨城地区グループの幹事を務めてくれまし た。

 八巻さんは、定年と同時に、東京に本部のある「JASS」(日本セカンドライフ協会)に加入され、史跡散策、名所観光、歌舞伎・寄席観賞などのイベント によく参加されていました。この「JASS」での経験を活かし、日立製作所社友クラブ茨城支部に同好会の設立を提案され、その実現に貢献し、同好会の初代 幹事長を務められました。歩こう会、研修会、歴史探訪、野鳥観察会、パソコンクラブをスタートとし、その後料理教室、デジカメクラブ、囲碁クラブ、写真五 七五など、多くの同好会を立ち上げました。私はパソコンクラブの世話人の一人として参画し、現在に至っています。
 このような訳で、私の定年後の生活様式は八巻さんに導いて頂いたと言って過言ではありません。

 八巻さんが、2005年頃「きらら」に書かれた随筆「私の最良の友、パソコン」に次のような記載があります。
【シニア世代のパソコン愛好家はどんどん増えていきます。皆さんのアプローチを見ますと、次のように分類できるように思います。 1.新技術機器として、ハード、ソフトともに常に先端を征服していくことを目指す。 2.そこそこの技術を習得し、あとは情報の発信・蒐集に利用する。・・・(中略)・・・シニアのパソコン愛好者のコースとして、上記分類の「2」が妥当だ と思いますが、これをさらに分類すると次のようになります。 2.1 インプット型:メール、ホームページでもっぱら情報を集め、情報通として自己満足する。 2.2 アウトプット型:内容の深さはともかく、せっせと発信する。外からの情報には余り関心を持たない。 2.3 インプット・アウトプット型:情報も集め、自らも充実した情報を発信する。
 私の目標  勿論、分類「2.3」を意識していますが、中々思うようにはいきません。しかし、情報の発信を意識していますと、どこかを訪ねた際、または、何か情報に 触れた際に正しい情報を記録するためにメモを取る、さらに、話題を求めて出かけたり、図書などで追加情報を得る努力を多少するようになりました。まだまだ 底が浅いですが今後も続けるつもりです。】
 上記では控えめに言っていますが、八巻さんは分類「2.3」の第一人者であったと思います。国内、国外を問わず積極的に出かけ、情報を発信されていまし た。非常に充実した人生を送られたと思います。

 昨年11月、入社58周年の同期会(56会)総会が東京で行われました。その際八巻さんは代表幹事・総合司会を務められました。その時の幹事仲間に送ら れた、八巻さんの今年の年賀メールには「昨年は56会幹事グループにご協力頂き有難うございました。お互い、少なくとも60周年記念までは参加できる体力 を保ちましょう。本年も宜しくお願いします。」と記されていましたが、これが遺言となってしまいました。
 ご冥福をお祈りいたします。