音に会いたい

真瀬 寛
平成27年5月
    人生で出会った懐かしい音,忘れ得ない音, 音に会いたい... こんな語りで始まるNHKのラジオ番組がこの3月21日の特別番組をもって終了した.  この「音に会いたい」は, 20年間も続いたそうである. 土曜日の朝6時前に放送されるこの番組を布団の中で時折聞いていた. そんな時,きまって脳裏に響き渡る音があった.

    今から57年ほど前大学4年の 春,原因不明の(単性)緑内障を発症し激しい頭痛と嘔吐の発作に悩まされ, 僅かな期間で右眼の視野上半分を失った. 当時の眼圧計は分銅を直接眼球に乗せて測るもので80mmHgまで測れたが, それが振れ切れるほど眼圧が高くなっていた.失明の恐れがあるということで,  57年夏に東北大病院で眼圧を下げる手術をした. 当時の手術は今では考えられないほど大変だった. 術後は両眼とも圧迫包帯をぐるぐる巻にされ, さらに頭を砂袋で押さえつけられた状態で1週間の絶対安静を強いられた. 50日ほどの入院で退院したが, 眼圧が効果的に下がらないので, 冬休みに再手術ということになった.
    当時の眼科病棟は,丁字路に なった市電通りに沿って建っていた. 病室の前には電車の行く手を決める転轍機の操作塔(信号所)があった. その転轍機のポイント切換にまつわる音,それも1958年が明ける早朝の音が, 何故 か「音に 会いたい」の放送に誘発されて想い出されるのである.
  その時,手術6日目で両眼圧迫包帯をして絶対安静の状態でベットに臥せっていた..眼が見えないと聴覚が鋭くなるようで, 物音に敏感になる.丁字路の電車 通りの一方には大崎八幡があり大晦日には年越しの参詣客でたいそう賑わう. その喧騒がいつしか鎮まり, 年が明けた朝5時半, いつものように始発電車が走る前にポイント切換の点検をする音が凍てついた早朝の街にガチャガチャ,カンーンカーンと響き渡る,やがて近くの車庫 から始発電車が 走りだし, 続いてカランコロンと下駄の音が響き人通りが増してきて街が目覚め, 新しい年の活動が始まった事を知る. 新しい年を迎えて, 春には卒業出来るのか, 就職はどうなるだろうか, と漠然とした不安が胸をよぎった. そのような状況で聞いていた新年の音の情景がいつしか特別な音として脳 裏に残ったのだろうと思う.
    その後, 病棟は高層ビルに建て替えられ, 市電も廃止されてから久しい. 今, 病院正門前の丁字路はおびただしい数の自動車であふれている. あれから半世紀, 昔の面影を見つけることはもうできない.

   
大学4年の手術以来,十数回の手術を繰り返したが, それらについては特にとり立て印象に残る記憶はない. 1年ほど前からは僅かに残った視野を維持するために大学病院での治療に通い始 めた. ちなみに現在の眼科科長は当時の桐沢先生から数えて5代目だそうである. ずいぶん永いこと眼疾と付き合ってきたものだと改めて思う.

    当時の電車通の写真はないものかとネットで探してみた. なかなか見つからなかったが,ようやくかの信号所の懐かしい写真を見つけることができた. 掲載主から快く許可し ていただ いたのでそれを転載した. 信号所の真後ろに建物の窓らしきものが写っているが,そこが病室だった.

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