「暇人の戯言」
瀧下 文夫
  平成12年10月吉日
 二十世紀最後の年も余すところ百日となってしまい、時間に追い立てられながら新たな世紀に突入せんとしている。ここで足元を踏まえ、人生を育んだ大地を振り返って見ることにします。太陽系の片隅で私たちを育んだこの地球も、五十億年の長い歳月、様々な地殻変動を繰り返して、この地球を形成した。地殻変動に伴う反応突然変化が生命体を発生させ、生物の数千万年数億年に及ぶ進化と世代交換の繰り返しによって現在の地球天国を形成した。人類が出現してからも、既に何万年かを経過しました。人間は長い間、地球の自然と共に静かな生活を送り、その自然環境の変化に順応し世代を繰り返してきた。
その人間が、ここ数千年以来文化の名のもと生物社会に君臨し、更には人類同士の競合を繰り返すようになってしまった。極最近百数十年前に至って文明開化やらの花が咲き、近代経済社会の形成は、国家間競争にエスカレートした。二十世紀後半に至って産業開発は、数億年かけて蓄積した天然資源の乱獲を招き、産業革命・工業生産の急増を競った結果は、目先の生活の便利さと裏腹に、地球環境を激変させ、人生観も踏みにじり、生命の存続すらも憂慮しなければならなくしてしまった。
幸せを願って発展をつづけてきたのに、なぜ人間は己の命さえ危機に陥れるような、自縄自縛とも言える行為を進めたのか。この20世紀は、近代科学の名のもとに原爆をはじめとして、自然界にも無い新物質を合成し、また人間生活の便利さ追及は大気を汚染し、膨大の廃棄物処理に生活空間を奪われる始末である。いまや科学進歩とか文化開発という名の人間活動は根本から見直しせねばならないときではなかろうか。近年、この急変に気づいて、21世紀を前に各国とも反省機運が出はじめたが、この激変期に遭遇し育った我々世代は、後世に確かなバトンを手渡すためにも、それぞれの立場でこの地球環境問題と価値観の急変に伴う教育問題については深く反省し軌道修正しなければならない責任があると思います。私は以下改めて、身近な問題で特に気になることを取り上げ提起し、皆様からご批判を戴きご指導を賜って、これらのことを更に掘り下げて見たい所存です。

 私たちの社会は、戦後、経済力ゼロから、全国民総ぐるみで復興に突っ走り、見事に世界から注目される経済大国になりました。この経済の成長は、「自分の足元を見失ったバッファローの暴走」に譬えられ今振り返って見ると、物は開発されて有り余り生活は便利になったが、片方では廃棄物が急増し地球環境を破壊し、健康をも脅かす事態になってしまいました。経済偏重に押し捲られて、精神的判断力の涵養と心の育成が疎かになり、様々な社会問題が世界的に頻発しています。政治家も教育者も、物質主義に偏し「物心両輪のバランス」を忘れた為のツケが顔出ししたものと思います。
最近とみに「自己の反省」「我慢と協調」「思いやりの心」「自然の恩恵」「知足の自覚」「祖先崇拝」「先輩に従う」「社会からの恩恵を知れ」「挨拶をしよう」等、当然の懐かしい声が聞こえてきます。この声は多くの人達が、このあたりまえの気持ちさえ失われつつあることを意味しています。この待ち望んだ声を政治や教育に、大きく反映させる具体策は実現しているでしょうか。一方私たち一人一人も「自己中心主義」のベールを少しずつでも、脱ぎ捨てる努力が必要なときでしよう。
子供は「親の背を見て育つ」、だが現在の親御さんは、経済発展の真っ只中に育ち教育された方々で、その背中には「心の知識」が不足しているじゃないかと心配です。このような今こそ、終戦前後の物資不足を乗り切りながら「心の知識」を満載した熟年高齢者の処世術を活用するべきでしょう。安全社会の代表だった日本社会を、欧米並みの治安の乱れから脱却させ、明るい21世紀を迎えるキーポイントは、ごく当たり前の道徳心を染み込ませるしかないと思うが如何なものでしょか。

 次に、気になるのが地球環境の危機問題です。
 「大気中炭酸ガス濃度の増加:地球温暖化・水位の上昇・気象の変化・オゾン層の破壊・紫外線の急増・砂漠化現象・生態系の変化・生命えの影響」
 「廃棄物の急増:有害物(ダイオキシン等)の発生ーモラル公共心の低下ー大気汚染・海洋汚染・地表有害物の蓄積ー有害物の生態間移動・生態系の変化・動植物種の絶滅・人類の絶滅」危惧は際限なくエスカレートします。
今叫ばれている環境問題は、何れも人間の経済活動が主因です。火力発電や生産現場は、絶え間なく排気ガスとダストを排出し、各種エンジンの急増とモータリゼーションでは休むことなく日々有害物をばら撒いている。しかも現在は、世界人口の30%にも満たない一部先進国社会の仕業である。今後、後進国と言われる人達が、私たちと同じレベルの消費生活を進めたら、この地球はいったいどうなってしまうだろうか。想像しただけで身の毛がよだちます。地球環境の危機は目前に迫っています。この時、私たちは、どのように対処したらよいのか。「物の消費節減」「エネルギー消費削減」「リサイクル運動」など、いろいろと案は叫ばれても、具体的行動はこれからである。まさに21世紀人類トップテーマではないでしょうか。この環境悪化は一見テンポが遅いと感じるが、時時刻刻休み無く進行し、ごく最近の数十年で急激に増加しました。悠久の地球世界を維持するため最大テーマでなければなりません。
 
 これら目前の問題点を見て、近代文明とはなんだったのか、近代文化は豊富な物と便利さを導いたが、同時に、人類始まって以来の危惧をも作ってしまったのだ。何方か、良いご意見を教えて下さい。三十年も前に故アーノルド・トインビー(英・歴史学者)は、「現代人は何でも知っているが、自分自身を知らない」と看破したが「人類の文化活動は、天に向かって唾を吐いていること」だったのかもしれない。「有り余る物の中で、日本人の心は空しく病んでいる。物と心のバランスを失った欠陥車が、猛スピードで走っている。この侭では、地球も人類もダメになってしまう」  暇人が、つれづれの侭に21世紀を心配し、思いの侭に愚見を綴ってみました。斯様な「としこし苦労」を述べること自体が、自身のたそがれを意味するのかもしれないが、勝手な思いを書き並べました。ご判読を感謝致します。
臓器移植とか遺伝子操作の人類えの影響問題とか、急激な過剰情報の処理対策問題などは次世紀早々に議論されるテーマでしようが、人間英知の方向を間違えないことを祈らずにはいられない。          

 おわり  

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