水と緑の諏訪史跡めぐりコース
平成11年10月23日(土)
(報告 八巻 秀雄)
集合・解散: 諏訪コミュニティーセンター (9.00
− 15.00)
コース: 諏訪コミセン ー 朝日祐誠の墓 ー
平和台霊園(仏舎利塔、東叡山の石灯篭) ー
諏訪梅林 − 諏訪水穴 ー 採石場 ー 上諏訪神社 ー
小野家住宅 ー 多賀野家泉水
ー 諏訪神社 ー 諏訪コミセン (約10km) |
朝日祐誠の墓
石打幼稚園の横の丘の中腹にある。京でも認められた江戸時代の学者で、常北の七友・松岡の七賢人といわれ水戸藩からも優遇された。 |
仏舎利塔
平和台霊園に続く富士山に建つ大理石の立派な塔。昭和39年に当時のネール首相より送られ、宮田町に建設されたが、その後、ここへ移設された。
当時、日立市はインドと交流が密で、水力発電設備なども輸出されていた。
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東叡山の石灯篭(市指定工芸品)
将軍家の墓所、上野寛永寺から移設された石灯篭が3基、平和台会館の正面入り口の前に設置されている。正面は、
家綱公の廟に在ったもので南部八戸藩主より寄進されたものである。
他の2基は綱吉公の墓前に在ったものである。 |
諏訪梅林
公園として定着し、多くの人々に利用されています。
1833年に水戸斎昭公りより造園された梅林で、梅ノ木は185本あります。
園内には農村作家の長塚節の歌碑やかびれの小松崎氏の句碑もあります。
一行はここで小休止をしました。 |
諏訪水穴
鮎川上流の川渕の崖裾の石灰石にポッカリ口を開け、清流を吐き出している鍾乳洞です。昔、万年太夫夫妻が洞に入って帰らぬ人となったと伝えられています。中は狭いですが数十メートル中へ入れます。先端までは危険なので途中で立ち入り禁止になっています。
戦後に、洞の直ぐ下流に防災ダムが出来、大雨の際は水没していましたが、昭和57年に掘り返し、現状に復しました。
ここで、昼食、豚汁がサービスされた。 |
採石場
鮎川の上流にセメント用の石灰石採掘場があります。ここで掘られた石はバケットに入れられ、ロープウエーによりセメント工場に運ばれます。
この付近には諏訪八景に選ばれている「普巌岩」と「屏風ヶ嶽」が向かい合っています。今は普巌岩は掘り取られ変形しています。屏風ヶ嶽も一部を削り取られました。 |
上諏訪神社
アパートの裏の急な階段を上ったところにあります。上諏訪は地名で、諏訪神社とは関係がありません。神武天皇の妃、「タタライスズヒメノミコト」が祭られています。「ふいご」、「火」の神です。歌舞伎で「たたらをふむ」とは「ふいご」の音から来たそうです。 |
小野家住宅 (県指定文化財)
諏訪神社の前にある、築400年に近い曲り屋。名主農家住宅です。
小野家は佐竹の支族で、秋田に行かずに留まり、小野と姓を改めて住んでいました。幕末には天狗党の藤田小太郎を匿ったこともあるそうです。 |
多賀野家泉水
諏訪神社の麓に美しい庭園があり、清らかな水が湧き続けています。以前はお酒の醸造にも利用したそうです。水戸光圀公も訪れたそうです。 |
諏訪神社
光圀公の指示で諏訪市のお宮を第一宮と呼ばれていたことから、ここを第二宮と称するすることになった。創設は1250年。
創設者の万年太夫自作の夫婦座像(県指定文化財)を特別に拝観させていただきました。また、藤田東湖が揮毫した10メートルの祭りの幟(複製)も見せてもらいました。(実物は市博物館保存/市指定文化財) |