甕の原(みかのはら)古墳群
 
(六つヶ塚・むっがつか)
日立市大みか町三丁目

  甕の原古墳群は、前方後円墳1基、円墳5基以上からなる古墳群でした。このうち前方後円墳1基と円墳1基は、昭和51年の発掘調査終了後に消滅してしまいました。現在は、この 3基の円墳が残っているにすぎません。

 甕の原古墳群では、この群集墳の盟主とみられる前方後円墳(六ツケ塚二号墳)が調査されている。規模は、全長が33メートル(周溝部まで含めると41メートル)で、墳丘には埴輸が立てられていた(日立 市教育委員会『日立市六ツヶ塚遺跡発掘調査報告書』)。後円部の旧表土を掘り込んでつくられた横穴式石室からは、家族の追葬があったことを示す多くの人骨のほか、副葬品として、六世紀末葉の年代を示す鉄製の馬具、多数の大刀や鉄鏃などの武器類、耳環・管玉・切子玉などの装身具類、そして須恵器が見つかった。

 こうした副葬品のうち、実用的な馬具や豊富な武器類は、被葬者が時には武装を必要としたことを示している。この時期の古墳の被葬者は基本的には農民であったが、そうした被葬者たちも大和政権と無縁ではなかったことを思えば、その軍事体制に組み込まれていたものと考えられるのである。おそらく、政権から出兵要請があればそれに応じるような体制ができていたのであろう。これには、蝦夷との緊張関係や朝鮮半島の新羅との対立といつた、大和政権が抱える政治的な背景があったものと考えられる。

 また、この古墳の周溝内外からは、小さな石棺や、貧弱な品を副葬した土壙墓(どこうぼ)が見つかっている。これは、古墳には埋葬されない階層の人がいたことを示すと同時に、それらの人々がどのように葬られたかを物語るものである。
 


4号墳

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