梅  林
  諏訪梅林と親しまれるこの梅林は、天保四年(1833)第九代水戸藩主 徳川斉昭(烈公)によって造園されたと伝えられ、約三百本の白梅・ 紅梅が毎春芳香を漂わせて観梅客の目を楽しませてくれる。
  梅園の中程に、烈公・手植えの梅の古木がある。      烈公は、この梅林造りに満足してか、その後天保 十三年には水戸に偕楽園を創設している。
 梅林は、日立常陸太田を結ぶ県道37号で分断されているが、近年茨城 の自然百選として選ばれ「高鈴山と鮎川渓谷」の景勝地として、一段と 有名になった。
 梅林の麓を流れる鮎川の川岸が近代的に整備され、夏の水遊びも楽しめるし バーべキュー設備整って四季を通じ人々の良き憩いの場となっている。 観梅シーズンには、観光バスも訪れ宴会の人だまりも絶えない。
 昔人は、諏訪八景の一つにあげて次の歌を残した。 「 初春に ひより見立て 登り見ん 里を香う 諏訪に梅山」 明治の歌人・長塚節はこの地を訪れて下の歌を詠み、歌碑がある。
    「雪降りて 寒くはあれど 梅の花 散らまく惜しみ 出でて来にけり」
    園内上の手に、戦没者慰霊塔が立つ。これは明治以来の諏訪 ・成沢・油縄子地区出身者で国に一命を捧げた方々の英霊を合祀 し、末永く名誉を称え感謝するものである。
  広い園内は、地区の有志で編成された奉仕団体の梅友会の皆さ んによって、よく管理されている。
  また、凡そ8km の鮎川沿線は、沿線住民有志 「鮎川を守る会」 の皆さんによって清掃整備され、鮎川の清流と共に景観が守られている。
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