大久保学区のマップ・概要・年表

(概要)  (年表)

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大久保の概要

 大久保は、多賀山地を背にして水と緑に恵まれた温暖な土地で、その集落は、大久保川と桜川の両扇状地で、盆地であるだめに、大窪と名づけられ。数千年前の縄文時代からすでに人々が生活をしていました。

 土壌ぱ肥沃で、大久保の重要なそ棄の生産地となっていました。常磐線が開通した頃の下孫駅あだりは田園でした。今は、「よがっへ祭」などが行なわれて賑わっています。

 大久保は古い歴史と文教の地としての面影をとどめていまず。また多くの公共施設も整えられ商業工業の中心地であり、山地を拓いて団地化も進み住宅地としても大きな飛躍が期待されます。

 

大久保地区の年表


年号   西暦  移り変わり
縄文時代    多賀山地丘陵縁上に遺跡が点在十王堂遺跡。
大宝元   701 鹿島神社(大久保町)創建される。例祭4月7日 祭神武甕槌命
延磨20   801 このころ、坂上田村麿が戦捷祈願をずる。
治承元  1177 平氏大塚宗幹、大久保愛宕山に大窪城を築く。
治承5   1181 古くは、大窪と記され、「吾妻鏡」に常陸国、塩浜、大窪、世谷の
          地名等が所々に見られる。
          源頼朝、鹿島神宮領として常陸国、世谷、大窪、塩浜の地を寄進する。
永禄5  1562  相馬盛胤が侵入し、佐竹義昭と孫沢原にて合戦する。
慶長7   1602   佐竹義宣が秋田に移封され、大窪城は廃せられる。
正徳元  1711  鹿島神社(下孫町)創建される。例祭4月8日祭神武甕槌命
天保10  1839  大久保村に郷校興芸館が開館される。
天保15  1844  興芸館が暇修館と改称される。
安政3  1856  暇修館が大久保校と改称される。
元治元  1864  水戸藩天狗諸生の乱で大久保郷校荒廃する。
明治4  1871  廃藩置県日立地方は茨城県の管轄となる。
明治5  1872  壬申戸籍による大久保村の戸数233戸、人ロ1158人。
          下孫村156戸、861人とある。
明治6  1873 大久保小学校が開校 大久保郷校を改造し校舎とする。
明治22  1889 大久保、下孫、金沢の3村が合併し、国分村となる。
明治25  1891 国分村が旧暇修館建屋を役場として利用ずる。(~26年)
明治30  1897 水戸~平間に鉄道開通し、下孫駅が開業ずる。
昭和6  1931 旧暇修館建屋が大久保青年団の集会所など、社会教育の場として活
          用される。
昭和14  1939 国分村、河原子町、鮎川村が合併して多賀町となる。
昭和16  1941 坂上村が多賀町に編入される。・太平洋戦争始まる。
昭和20  1945 日立地方は艦砲射撃、焼夷弾攻撃を受け、多賀町も大ぎな被害。
          8月、太平洋戦争が終わる。
昭和21  1946 多賀町は特別都市計画により復興事業に着手する。
昭和30  1955 1市2町4村が合併し、新日立市が誕生する。
昭和36  1961 大久保中学校創立開校する。
昭和38  1963 大久保ささら(上孫散々楽)保存会が結成される。
昭和45  1970 大久保ささらが日立ささらの1つとして、県指定無形文化財となる。
          日立産業文化会館が完成する。
昭和46  1971 「大久保市民運動実践協議会」が結成される。
昭和48  1973 暇修館復元工事が完成ずる。
昭和49  1974 市民の祭典「第一回よがっぺまつリ」が開催される。
          中丸団地分譲始まる。
昭和56  1981 日立市教育会館が完成。
平成元  1989 中丸団地に日立電鉄バスが開通する。
          日立市政50周年を迎える。
平成2  1991 「大久保市民運動実践協議会」が「明るい大久保市民の会」と改称する。 平成6  1994 大久保小学校創立120周年記念「巣立ち」の像が建てられる。

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