玉簾  滝とお寺

 玉簾寺  
 玉簾寺は、里川の清流が旧棚倉街道に直角に交差するように流れ来、滝沢川と、合流するところの、台上に位置しています。
 延宝6年(1678)水戸藩2代藩主徳川光圀の命によって創建された、臨済宗の寺院です。  光圀は、寺の裏側の滝(玉簾の滝)が、玉すだれのように流れ落ちているところから、瀑布山玉簾寺と命名されたと言われています。  貞亨3年(1686)光圀は、所蔵していた木造の聖観音像を修飾し、木造観音薔薩座像として玉簾寺に安置しました。以来、この木造は、玉簾寺観音堂の本尊として、崇められています。   この木造観音菩薩座像は、その作風等から非常に貴重な仏像として、昭和44年に県の文化財に指定されています。仏像の高さは59.3㎝で、桧材を用いた寄木造りで、その作風から南北朝時代、14世紀の院派の仏師により製作されたと言われています。  像の胎内には、光圀による墨書銘札が納入されており、これには光圀が所持していた仏像を修飾して、玉簾寺に安置したことが記されています。  
 この玉簾寺は、「北の玉簾・南の雨引」と言われ、安産の祈願所としても著名で、近郷はもちろん遠方からも多くの妊産婦が、安産祈願に訪れています。

玉簾の滝
 玉簾の滝は、昭和46年に市の文化財(名勝)として指定されています。滝沢川が里川に合流する手前、玉簾寺境内の裏側に位置しており、滝の規模は高さ18m、幅8mです。木立に覆われ鬱蒼としたなかを、白い糸が布を縫うように流れ落ち、その名のとおり優美な姿を見せています。  
 滝周辺は、春の新緑、秋の紅葉など四季折々に見せる風情は、玉簾寺との調和から、一層にその美しさを引き立たせています。玉簾寺の創建に関わリのあるこの滝には、徳川光圀をはじめ、多くの文人墨客が来遊し、詩歌や文を残しています。

徳川光園の詩 飛泉倒断崖 乱沫散徴糸 白布懸空瀑 玉簾穿岳垂
雷声轟地軸 雲額払山眉 千歳除凝後 為吾洗悪詩
徳川斉昭の歌 紅葉せし木の間の滝の玉すだれ 落つる錦をきてこそまされ        

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