水木浜

水木浜は、常陸風土記の泉が森の記述の中に「其の東と南とは海浜に臨む。アワビ、ウニ、魚貝の 類甚だ多し」とあり、古くから海の幸に恵まれていました。戦前までは、沿岸漁業が盛んででしたが、次第に衰退し、現在は アワビ漁だけが行われています。また、以前は砂浜も広く、遠浅で水もきれいなため、海水浴場として知られ、海水浴客旅館も 十数軒ありました。

現在は海岸道路が通り、交通の便は良くなりましたが、北側には護岸とテトラポットが並べてあり、砂浜は大分狭くなってい ます。然し、現在でも春は潮干狩りに、夏は海水浴に、多くの家族連れで賑わっています。

田楽鼻

水木海水浴場の南側に海中に突き出た岬があります。これが田楽鼻と呼ばれるところです。海蝕崖で 高さ22m余りあり、崖の上は平坦な台地になっています。この台地を地元では田楽原と呼んでいます。現在この一部は公園になって おり、金砂神社大祭礼の記念碑等が建っています。

田楽鼻の由来は、東西の金砂神社が磯出という神事の際に、この場所で田楽舞を奉納したことから名づけられたものです。 磯出は神の出現を再現する意味があり、金砂神社の神はアワビの小舟で水木浜の磯に現れたと伝えられているところから、72年に 一度水木の浜に磯出する大祭礼(大田楽)が行われます。次回は平成15年(2003)に予定されています。

水木御番所

田楽鼻から北へ少し行った所に、御番所跡があります。今は河村家の敷地内ですが、当家の川村巳三夫氏 が建てた碑が建っています。それによると、文政7年6月(1824年)、当時このあたりの郷士だった河村家に、徳川斉昭から海防番所 を勤める様にと指令が出されている様です。河村家の敷地の太平洋に面した崖の上に、2間X4間の建物が建てられ、当時2人~4人が 詰めて異国船の見張りをしていたといいます。

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