西の妻古墳群
 6世紀後半から7世紀にかけて、茂宮川沿岸の台地周辺に多くの古墳が築造された。この時期は、小規模古墳が狭い地域に密集して築造される群集墳が広い地域に築造された。

西の妻古墳(周囲は宅地化された)

 西の妻古墳群(前方後円墳1基、全長56m、円墳1基、直径26m)は、6世紀後半に築造されたと推定されているが、内部調査はされていないので詳細は不明である。前方後円墳の埋葬施設は、入口を開けば、容易に追葬可能な横穴式石室が採用されている。この様式は、古墳時代後の墓制である横穴墓の造営に連なったことが推定できる。西の妻古墳は、日立市内で古墳の形態を保っている唯一の貴重な古墳である。

 坂下横穴墓群

横穴墓群のようす

 坂下横穴墓群は、石名坂の西方、段丘の南斜面に形成されている。昭和62年、団地造成に伴う発掘調査が行われ、26基の横穴墓の存在が確認された。
 玄室中央に通路を設け、西側の壁に沿って2屍体、コの字型に3屍体を葬れる形態をとっている。26基の横穴墓の形態は、7類に分類されているが、その第1類に属する横穴墓は唯1基存在し、その形態は、久慈側流域の横穴墓は勿論、県内でも初めて確認された形態として注目に値するものである。坂下横穴墓は、その出土品から、5世紀末から8世紀前半まで、墓として機能していたことがわかる。