このホームページでご紹介する『河原子(かわらご)』とは日立市の河原子学区をさし、日立市河原子町と日立市東多賀町一帯を称しています。   
 河原子は、日立市の中部、JR常磐線常陸多賀駅の東側に位置し、南は金沢川、 北は桜川にはさまれた、太平洋の海辺に面したまちです


上空から見た『河原子』
〔この画像は、白土清氏(日立市河原子町)が自費出版した「郷土かわらご」から
白土氏のご了解を得て掲載したものです〕


 古くは、治承5年(1181)源頼朝が鹿島神宮に寄進した文献の中で河原子を「塩浜」 と呼んでおり、製塩をはじめ漁業を中心とした半農の生活をしていたようです。

 「河原子町」地域は、太平洋に面し、烏帽子(えぼし)岩をはじめとした海岸景勝に恵まれ、昔から海水浴場として名が知られ、現在旅館や民宿等が約50軒あり、夏の海水浴シーズンには多くの人が訪れ賑わいを見せています。 また、古くからの神社や寺院などが所在しています。

 「東多賀町」地域には、日立製作所電化機器事業部(旧多賀工場)がその一角を占め、河原子小・中学校や、東多賀・河原子コミュニティセンター、日立メディカルセンターなどの公共施設があり、住宅地として広がりをみせています。

 現在、約 2,600 世帯約7,000人の人々が住む静かなまちです。


町 名 の 由 来
 その昔、旧河原子地区の中にあった千石(十石ともいわれた)に、弁財天を 祀ったお堂があって、そのあたり一面が荒地であったため「石田河原」とよばれていた。

 今から約400年前の慶長9年(1604)、大窪郷から分離するとき「石田」の2字を削り「河原」の下に大久保(窪)の分村という意味で「子」 の字をつけて『河原子』と呼ぶようになったといわれています。
                            (多賀郡郷土史 P80)

 

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